金封と水引
金封について

[結びきりと花結び]
水引の結びは大きく二つに分けられます。ひとつは「結びきり」。昔は真結びといって、目上の人やあらたまった贈り物に使われましたが、いつの頃からか、一度結んだらほどけない結び方ということで、結婚、弔事、病気見舞いのように、二度とくり返してほしくないことに使われるようになりました。この結びきりには、輪結びやあわじ結びがあります。もうひとつは「花結び」。昔は行結びといって、自分と同等の人や、ちょっとした贈り物に使われました。これはほどくことのできる結び方で、何度でもくり返してよい一般的な祝い事に使われます。飾り結びはこの二つの結び方にしたがって、飾りをあしらった結び方です。結婚祝いなどには、「結びきり」を基本にして、輪にした飾り結びがよく使われます。最近では豪華なデザインの 飾り結びがよく使われています。


[お金包みのたたみ方]
上包みの上下の端は裏へ折り、慶事では下側の折り返しを上にして、弔事では下にして重ねます。慶事で下側の折り返しを上げるのは、運が上がるように、または晴れ晴れと目を上げて喜びをあらわすという意味です。弔事では上側を下げ、目を伏せて、悲しみをあらわす、と覚えます。まちがえやすいので気をつけましょう。

[冠婚葬祭の表書き]
毛筆で丁寧に、慶事は喜びで濃く鮮やかに、弔事は悲しみに薄墨でしっかりと書きます。
表書きは上段中心へ大きめに、氏名は下段中心に小さめに書きます。
中袋には表に金額、裏に自分の住所氏名を書きます。
■表書きの書き方
婚礼
御祝・寿・御結婚御祝
祝事
御祝・寿・御誕生祝・御入学御祝
御卒業御祝・御就職御祝・御栄転御祝
その他
御礼・御祝儀・薄謝・寸志・御餞別 など
お見舞
御見舞・近火御見舞・震災御見舞 など
弔事 仏式
御霊前・御香典(通夜・告別式)
御霊前・御仏前(一般法要)
神式
御霊前・御玉串料・御榊料
キリスト教
御霊前・御花料

水引について
南北に伸びる長野県の南、天竜川をはさんで、南アルプスと中央アルプスに抱かれた伊那谷の中央に位置する城下町“飯田”。
アルプスからの清流は、段丘を刻んで果物がたわわに実る肥沃な土を育み、あふれる緑は折々の色彩をまとつて豊かな表情を見せています。こうした風土の利を生かし、飯田は古くから水引のふるさととしての伝統を受け継いできました。
人と人、心と心を結ぶ水引。和紙が織りなす雅で繊細な技は、忘れかけた日本の心そのものかもしれません。
飯田水引、事始め。
飯田水引の始まりは、元禄年間(1700年頃)のこと。当時の飯田領主堀侯が凍豆腐を将軍に献上する際、「クレナイ」の儀式に習って紅白の水引を輪結びにしたことに幕を開けます。しかしながら江戸時代は、ほとんどの人が留(まげ)を結っていましたから、当初は留を結うための紙紐である元結(“もとゆい”または“もつとい”“もとぎ”とも言う)が主流で、ほぼ同様の製法で作られる水引は、副業に過ぎませんでした。飯田の元結はもともと品質の優れていることで定評がありましたが、美濃から招かれた紙漉き職人・桜井文七が和紙製造にさらに改良を加えると、元結の代名詞『文七元結』として全国にその名を知られるようになりました。ところが断髪令によって元結の需要は激減し、代わって副業だった水引と水引工芸が飯田を代表する産業として、発展を遂げることになったのです。
【時代は流れても、手のぬくもりは生きている。】

飯田は、水引作りに必要な条件をいくつも兼ね備えていました。冬でも暖かく雨の少ない温暖な気候であったこと、和紙の原料となる椿(こうぞ)や三柾(みつまた)などが豊富だったこと、天竜川の清流や風越山から湧き出る清水など名水に恵まれていたこと。そして街道の要所として東西の文化が行き交い、流通が盛んであったことなど、まさに水引の郷になるべくしてなったといっても過言ではありません。近来、水引そのものの製造はほとんど機械化されましたが、一つの製品・作品として細工する作業=結ぶ作業は、現在もすべて手で行われています。 祝儀専用のイメージが強かった水引も、最近では様々な用途に使われるようになりました。祝儀袋などは伝統的なものに加えて、おしゃれで遊び心のあるデザインのものに人気が集まっていたり、優れた技術を使った美術工芸品としての評価も高まっています。この他、ファッションやデザイン分野での新しい可能性も期待され、飯田の水引は新時代を迎えようとしているのです。しかし、時代が流れ用途が移り変わっても、水引の原点である“結び”の心と手のぬくもりは、大切に伝えていきたいと考えています。

資料提供:佐々木水引工業株式会社